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大豆の歴史

大豆の原産地は?

大豆の原産地についてはいくつか説があります。

一般的には中国といわれており、大豆について書かれた記録で
最古のものは、紀元前2838年に中国を支配したとされる
神農皇帝による医薬の書物『神農本草経』です。
「生大豆をすりつぶして、腫れ物に貼ると膿が出て治る」などの記述があります。

周の時代には大豆を表す象形文字の記録も。

前漢時代の歴史書「史記」には、歴代皇帝が毎年、
五穀豊穣の儀式で大豆の種をまいていたことが記されており、
大豆が大切に扱われてきたことがわかります。

どうやって日本に大豆はやってきたか?

中国から朝鮮半島を通じてやってきたといわれています。

日本でどのように普及していった?

日本では山梨県北杜市にある酒呑場(さけのみば)遺跡から出土した
縄文時代中期の井戸尻式土器から大豆の圧痕が見つかり、
その頃には大豆の栽培が始まっていたことがわかっています。

同じ頃、稲作が行われていた痕跡があります。
おそらく、米では不足する栄養分、ビタミンやたんぱく質、
ミネラルなどを大豆により補っていたのではないでしょうか。

大豆に関する最古の記録は飛鳥時代の「大宝律令」で、
大豆を原料とする「醤(ひしお)」などの記述があります。
また「古事記」には大豆の神話が記載されています。

奈良時代になると味噌や醤油の源流「穀醤(こくしょう)」も作られました。
穀醤が作られる前は肉醤(ししびしお)や魚醤(ぎょしょう)が作られていました。
干し肉を刻み、麹と塩に漬け込んだものが肉醤。
魚を塩漬けにして発酵、熟成させた液汁が魚醤です。
これらをもとにして、後に穀醤が作られていきました。

大豆の栽培が全国に広まるのは鎌倉時代で、きっかけは
その頃伝来した仏教にありました。
仏教の教えの根底にあった「殺生禁止」の風潮が強まると、
特に大衆の規範となる僧侶たちにはそれが徹底され、
彼らは肉や魚に変わるたんぱく源として大豆を食べるようになったのです。

豆腐、味噌、醤油、高野豆腐、湯葉など現在にも残る大豆食品は、
一部中国から伝わったものもありますが、この時代の僧侶たちが作ったものです。
これらを組み合わせ精進料理や会席料理も誕生しました。

また、戦国時代になると、戦の保存食として武将たちが味噌を
作るようになりました。江戸時代には味噌や醤油、豆腐などの
加工食品が味噌汁など料理となり大衆にも広まっていきました。

大正時代にはこれらの大量生産も始まり、普段の食卓に登場するようになりました。

現代の大豆について

昔と比べ、大豆が食卓に並ぶことが
少なくなってしまっているのではないでしょうか。

一方、大豆の健康価値はあらためて見直され、大豆を使った様々な
加工食品、豆腐や豆乳、大豆ミートなどが普及していっています。
姿、形を変えて私達の生活に寄り添い健康のサポートをしてくれている
日本のスーパーフード大豆の姿がここにはあります。
外国でも、豆乳、チップス、エナジーバーなど加工食品として大豆が食べられています。

皆様もぜひ、意識して食卓に「大豆」を取り入れてみていただければと思います。

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